年老いた友人ジェイが高齢者施設に入居するまでの経緯(5)

 幻聴
最初は食事の世話だけのお願いだったのだが、やがて見回りも追加してもらうようになった。その理由は幻聴をきたすようになってきたからである。隣人が真夜中にパーティーを繰り返すと訴えるようになったのである。
9月に入って、ジェイを訪ねたある日のことである。玄関のドアを開けるジェイが口に人差し指をあててヒソヒソ声で「ハロー。小さな声で話してくれ、隣の人が話し声を盗聴しているから。」と言うではないか。奥の部屋に入ると、「隣人が壁を通して耳をすましてこちらの様子を伺っている」と言うのである。よくよく話を聞くと最近、隣人が夜中にパーティーを頻繁にするようになり、逆に昼間はこちらの様子を聞き耳を立てて聞いているという。夜はそのパーティーの音があまりに騒々しく、寝不足が続いている。そう話している間も、「ほら、今も人の話し声が聞こえただろう?」とジェイが言うのだが、我々には何も聞こえない。ジェイの訴えが真剣なのと隣人の声がうるさいのは真夜中だというので、もしかするとジェイが隣人から嫌がらせを受けているのか?とジェイの訴えを真に受けてよいのかどうか我々も判断がつかなかった。その時丁度その時ヘルパーさんが食事の配達に来てくれたので、ジェイの訴えを話し相談したところ、ヘルパーは夜の見回りを何度かしましょうと、その場で会社に電話をし手配してくれた。ヘルパー会社はもちろんジェイ宅の鍵を持っているのでジェイが眠っていても起こさずに様子を見てくれるのである。ヘルパーさんが見回りに来てくれたら、自分の名前と時間を紙に書いておいてもらうという取り決めをし、ジェイもそれに納得し、その日我々はジェイ宅を後にした。夫はその夜会合があるので私は一人で帰宅し、近所に住む母(ジェイと古くからの友人である)を家に呼び、ジェイの様子を報告しながら「今晩ウチに来てもらったほうが良かったのではなかったか、しかし一時的に来てもらっても問題解決にはならないのではないか。」などと相談していると、なんと我が家の庭にジェイが立っているのが窓から見えるではないか。夜の8時すぎである。これには驚いた。 

ジェイ宅から我が家までは電車で3回乗り換え、1時間半近くかかる距離である。9月でまだ日没が遅いといっても薄寒い夜である。我々がジェイ宅を経って一人になると居ても立ってもいられなくなったのだろう。事前に電話もせず、そのまま電車に乗ってきたのだろう。かわいそうなことをしたと後悔した。

気苦労と不眠が重なり相当疲れていたのだろう。簡単に入浴、食事を済ませ、ジェイはすぐに床についた。母もジェイが眠ったことを確認し自分の家に帰っていった。

ところが10時半、昼間の服を着用したジェイがいきなり居間に現れたのである。「やっぱり眠れない。うるさい声がする。自分の家に帰る。」と言い出すのである。ジェイは幻聴の症状を抱えているのだ。こちらがあっけに取られている間に、ジェイの体はすでに玄関に向かっている。「もう遅いし、誰もしゃべっていないからこのまま泊まって。」と言うのも聞かず靴を履き、ドアを開けどんどん歩いて行くではないか。こちらは羽織るものを手にするのが精一杯で、室内履きのまま追いかける。日頃とは違う物凄いスピードで歩いていくのである。走って追いついて腕を取り、「もう遅いから今晩はウチで泊まって。」と懇願しても、私の手を払いのけて「自分の家に帰らなければいけない」と言い張る。「じゃあ車を出してくるからここで待ってて。」と聞く耳持たずのジェイをその場に残し、急いで車を出し現場に戻ってきたが本人がいない。駅に行くとタイミングの良いことにこの駅からの始発電車が停車しており、ホームには電車のステップに足をかけ手を振っているジェイが見える。ジェイまで駆け寄り、再度車で送ると言っても、「大丈夫、自分で電車で帰れるから」というジェイ。ここまで主張するのなら、本人の意思を尊重するしかないと思い、車掌を見つけジェイの行き先を告げ、夜も遅いので時々車内で見回りをしてくれるよう頼んだ。その電車が出発したのは夜11時半である。凍えるほどの寒さではなかったのが幸いである。もし駅や道端でジェイが迷子になったり眠ってしまったら警察や駅員が助けてくれることを願いながら夜を明かした。 

翌日、ジェイが問題なく帰宅していればさぞ疲れているだろうと思い昼前に電話した。ジェイが電話に出、その一声を聞いた途端、我々の心配は一掃された。元気な声である。まったく問題なく自宅についたそうである。意思の力とは凄いものである。感心した。

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